特集 あなたと私の人生会議を考える 第10回

 

【特別養護老人ホームで看取りをする時代になって 山本 進】 より抜粋

幸せの意味

高齢者社会とは、長生きする人が増えた社会と言えます。若くして亡くなる人が相次いでいた時代には誰もが願った長生きでしたが、まさに時代が変わりました。医療の進歩により“治る病気”がどんどん治るようになったことで、老衰や、末期癌に代表される“治らない病気”で死にゆく人が増えることになりました。十分に長生きした結果として残された時間を、治療のために耐え続けるよりも自分らしく過ごす方が幸せだという考え方が市民権を得る時代になりました。

ヒデオさんは、病院には行きたくない、ここしゃくなげ荘で自分のことをわかってくれる人たちと一緒にいたいと明確に語り、最高の最期を迎えました。また、ヒデコさんはここのみんながいてくれるから幸せだと言いました。なぜ、あの壮絶な状態で「みんなの幸せを願っているんだよ」と言えるのか。私たちはしっかりと受け止め、向き合うことが求められます。まだまだ自分は若いと妄信して、さまざまな欲望に振り回されている私たちには感じることが出来ない幸せを、長い人生を生き抜いた方たちは感じているのです。彼らは、自分のことを理解し、すべてを受け止めたうえで、いつもそばにいてくれる職員と一緒にいたかったのでしょう。その職員たちは、自分が一口ご飯を食べたと言っては喜んでいるのです。何といっても生きているだけで大喜びしてくれるのです。ここには、治るとか治らないとかを超えて、お互いが“いま ここ”にいることに呼応する幸せがあるらしいのです。

私は、これまでの人生をとおして、人の幸せとは何か知りたかったのだと思います。家(イエ)や親戚・家族に縛られて生きていることや、人が死ぬと、残された家族は弔う責任が発生することが重苦しくて仕方なかったのです。さらに、今度は長生きになったことで介護が家族間の葛藤の原因になることも、不幸なことだと思っていました。しかし、今ではこれらの課題をみんなの協力で乗り越えていくことのなかに“幸せ”があると感じています。ただし、“幸せ”は感じ取る心の力がなければ見えないのかもしれません。

 

今回は林先生に老衰についてお話ししていただきます

皆さんは「老衰」と聞いてどんなイメージを抱くでしょうか。老化が進むと、食が細くなり、筋肉が衰え、体重も減ります。その結果、歩けなくなり、寝たきり状態を経て、自分で口から食べられなくなります。その頃には認知症も進行し、最後は眠るように旅立たれます。生き切った、大往生、平穏死などの良いイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。
今、老衰死が増えています。老衰による死亡率は、昭和22年以降ずっと減少傾向でしたが、平成13年以降は増加に転じ、平成20年代には急増しています。平成30年には、脳血管疾患にかわり、がん、心疾患に次ぐ死因順位第3位となり、令和元年には全死亡者の8.8%を占めるようになりました。高齢者の割合が増加しているだけでは説明がつかない急速な増加です。

そもそも老衰には明確な医学的診断基準はありません。厚生労働省の令和2年版死亡診断書記入マニュアルによると「死因としての老衰は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います」と記載されています。「いわゆる」とは世間一般でいわれていることの意ですから、極めて曖昧な表現です。すなわち、老衰は医学的概念だけではなく、社会的な意味合いを含んだ用語です。
仮に老衰と診断することが妥当であっても、医療者側か患者側のどちらかが、決して死を受け入れず、最後まで延命治療を求めれば、その結果亡くなった時に、医師が死亡診断書に記入するのは、治療を行った何らかの疾患名(例えば肺炎など)となります。
私自身、以前は死亡診断書に老衰と記載することに抵抗がありました。疾患を診断して、治療するのが医師の使命だからです。実際、老衰と診断された方を、解剖して詳しく調べると、何らかの疾患が発見されると言われています。
ですから、老衰とは医療者側と患者側の双方が、年齢的な衰えによる死を、寿命であると受け入れた時だけの、いわば社会的な診断名なのです。

平成20年以降の老衰死の急速な増加は、私たち日本人の死に対する意識の変化によるものと考えられます。老化による衰えを自然なことと考える死生観が少しずつ浸透してきたのでしょう。

私がしゃくなげ荘の嘱託医として着任して2年間で看取った方々のうち、老衰は25名、その平均年齢は94歳でした。大正、昭和、平成、令和と生き切った皆さんは、穏やかに天寿を全うされました。

ナイタイ高原