特集 あなたと私の人生会議を考える 第7回

 

【特別養護老人ホームで看取りをする時代になって 山本 進】 より抜粋

ヒデオさんの最高の最期

ヒデオさんは精神科病棟からの入所で既往歴にはアルコール依存症と記載されていました。しかし、向精神薬をやめたら、意識はクリアになり、しっかりと話が出来る様になりました。すっかり打ちとけてきたころ、「もう1回焼酎が飲みたいんだ。何とかして飲ませて欲しい」と言ってきたのです。私にはアルコール性の障害のある人には思えなかったので、何とかしてみると伝え、長男に電話で話してみたら、もう酒は飲ませたくないとの返事でした。理由をたずねると、酒で施設側に迷惑をかけて退所でもさせられたら、行き場がなくなると困るからという事でした。さらに突っ込んで聞いてみると「本当はオヤジの思うようにさせてやりたい気持ちだ」と言いました。私はここぞとの思いで、ごく少量から始めて、もし酔って混乱するようなら、私が責任をもって制止するので任せて下さいと言ったのです。しかし、一難去ってまた一難です。今度はアルコール依存症と診断されている人に酒を飲ますのは非常識だと介護主任から反対されました。酒好きの私として、ここは引き下がれません。これこそ一生のお願いというもの、老い先短い人のささやかな願いをかなえて欲しいと懇願し、何とか了承を取り付けました。


その後、一口の約束がいつの間にかコップ半分へとましましたが、実に陽気な飲み方で、人に迷惑をかけるということもありませんでした。一杯飲んだ後に別な職員をつかまえて、今日の分をまだもらってないから一杯注いでくれと、赤ら顔で言っていました。すぐにバレて叱られながらもちょっとだけ注いでもらうという穏やかな日々でした。しかし、よる年波には勝てませんでした。

調子がすぐれなくなってきたある日、「おい所長!もしオレが動けなくなって、いよいよダメになったらオレを病院に入れるのか」と聞かれました。理由を聞いてみると、「自分の事を知っている人が誰もいない病院の一室で、独りで死んでいくのは嫌だ。ここの職員たちのそばにいたい」と言うのです。私は、もちろん二つ返事で承諾です。さっそく家族と看取り介護の相談をしました。主治医は心不全があるが治療の対象ではないとの判断でした。やがて最期が近づいてきました。看取りの同意をもらっているので、職員には入院のプレシャーもなく、本人も静かに眠りがちながらも、ときおり酒を所望していましたが、平成19年4月23日の朝、最高の最期を迎えました。急変を告げられ居室へ入った直後、ヒデオさんは息を引き取りました。傍らで涙を流していた職員に様子を聞くと、ヒデオさんは朝食を断り、看護師が点滴をすすめたがそれもはっきり断って「酒が飲みたい」と言うので、焼酎をごくわずかだけ入れた水割りを、胸に頭を抱きかかえて一口飲ませたあと意識がなくなったとの事でした。その後、若い介護職員たちがベッドの周りで泣いているところに長男夫婦が到着しました。事情を説明すると、看護師でもある長男の奥さんが言ったことは、「お父さん、女性に抱かれてお酒を飲んで、“最高の最期”を迎えたねぇ」でした。

今回は林先生に、「胃瘻などの人工栄養法について」をテーマにお話ししていただきます。

口から食べられなくなった時の人工栄養法には胃瘻いろう、経鼻チューブ、静脈点滴などがあります。
胃瘻は主に、胃カメラを使って造ります。胃はへその上あたりにあるので、臍の上に局所麻酔をして、胃カメラで胃の中を見ながら、皮膚をチクッと刺して通り道をつくり、直径5~6mm程の柔らかいチューブを通します。胃カメラやレントゲンの機械がある施設で、30分程で出来ます。翌日から水分補給を開始、数日後から液体や半固形の栄養剤を注入、少しずつ量を増やします。1か月後には完全にピアスの穴のようになり、そのまま入浴することも可能になります。定期的なチューブ交換もピアスと同じように痛くなく簡単に出来ます。
人間はふつう口から、食事を摂り、腸から栄養を吸収します。腸を使わずに点滴だけで栄養すると、腸の粘膜が萎縮し、腸内細菌のバランスも崩れます。腸の粘膜の免疫細胞は、からだ全体の免疫細胞の6~7割もあるので、腸粘膜の萎縮により全身の免疫能が低下します。また腸内細菌が体内に入って感染症を起こすこともあります。
点滴には、そうした弊害があるので、私たちは長期の人工栄養を希望される患者さんには、腸から栄養が吸収される、胃瘻をお勧めします。一部に限ってですが、胃瘻による栄養で体力が回復し、再び口から食べられるようになる方もいます。

よく「胃瘻まではしなくても、鼻チューブや点滴はして欲しい」という御家族がいらっしゃいます。その多くは、胃瘻は体に負担がかかると誤解している場合が多いようです。鼻チューブは鼻から胃まで50cmほどの長いチューブがいつも留置されていますから、いつも鼻から胃カメラを入れられているのと同じで決して楽ではありません。月に1~2回は交換が必要なので、チューブ交換のたびに嫌な思いをするはずです。静脈点滴は腸を使わないので、免疫能が低下して感染症をおこしやすいだけでなく、点滴のカテーテル自体が感染源になりますし、カテーテルの周りに血栓が出来る場合もあります。太いカテーテルを血管に入れる場合の痛みは、胃瘻造設の痛みと比べて決して楽ではなく、トラブルが起きた時の交換も大変です。

しかし、人工栄養法としては優れた胃瘻栄養を行っても、元々の病気は良くなりませんし、老化を止めることはできません。心臓、肺などに持病を抱えている方は、胃瘻栄養を開始しても、長く生きられないことがしばしばあります。逆に、胃瘻によって長期に生存した結果、次第に脳や身体の機能が衰え、植物状態になる場合もあります。そうした一面だけをみて、一時期、胃瘻が悪者かのようにマスコミに取り上げられたことがありましたが、悪いのは胃瘻という手段ではありません。
胃瘻や点滴などの人工的な手段を用いて、生きていくことが幸せと感じるか否かは、患者さん自身やそのご家族が決めることです。もちろん人工栄養を行わないという選択肢、一度開始した人工栄養を終了する選択肢もあります。

超高齢社会を迎えた日本国民全てが、いずれは口から食べられなくなる可能性があります。
自分自身が「口から食べられなくなったらどうするか?」、「胃瘻などの人工栄養を行うのか?」、「どうやって最期まで生きるのが幸せなのか?」「生きるうえで大切にしているものは何なのか?」などを考え、家族や身近な人と話し合い、出来れば文書で残しておくことをお勧めします。