特集 あなたと私の人生会議を考える 第8回

 

【特別養護老人ホームで看取りをする時代になって 山本 進】 より抜粋

幸せをくれたヒデコさん

平成18年度の看取り加算創立以降、施設での看取りが増えています。しゃくなげ荘においても多くの方々を看取ってきました。なかでも、ヒデコさんは忘れられない方の一人です。平成23年4月に入所してからわずか半年の付き合いでしたが、今でもヒデコさんには感謝の気持ちがいっぱいです。ヒデコさんは床を這いまわり、視力もかなり弱っていましたが、気丈な性格で納得いかないことには安易に妥協しない、しっかりした女性でした。それだけに、入居当初は一切取り合ってくれない状態でした。でも、時間をかけて接しているうちに少しずつ心を開いてくれ、笑顔を見せてくれるようになったころには、ユーモアがありチャーミングな人柄にファンが増えていきました。

一か月ほど経ったある日、ヒデコさんが義歯を外させてくれた時に、職員が歯茎の異変に気づきました。下顎前部の歯茎が二股のように裂けて変形していたのです。歯科医の診断では、義歯が合っていないのが原因だとのことでした。それでその後、義歯を使わずに生活するようになりました。しかし、さらに一ヵ月ほどして顎にニキビ状の化膿が見られ、やがて下顎全体が赤黒く変色して腫れあがってきました。さすがに本人も口腔外科受診を承諾しました。結局は下顎歯肉癌と診断され、すでに骨の一部が溶けており、手の施しようがないと言われました。ヒデコさんは間髪入れずに「先生これはほっといた自分のせいです。誰も悪くないんです」と受診が手遅れになった責任を自分で背負い、家族や職員への気遣いをしてくれたそうです。その後、下顎は見るも無残に変形し、崩壊していくのですが、ヒデコさんは泣き言ひとつ言わず、むしろ職員へのねぎらいや感謝の言葉をたくさんかけ続けてくれました。本人・家族・職員三者がしゃくなげ荘で最期の日々を送ることを覚悟した頃だったと思います。ヒデコさんが一人の介護職員に自分が話したことを書いてほしいと言ったことをきっかけに一冊のノートがつづられていくことになりました。


今回は林先生に「人生の最期を迎える場所」についてお話ししていただきます

私の曾祖母が亡くなったのは、昭和51年(1976年)、私が小学4年生の時です。91歳だった曾祖母は、子や孫と同居していました。一人で入浴中、湯船の縁にもたれかかった状態で息を引き取っていたそうです。まさにピンピンコロリの大往生とはこのことです。この頃は在宅死の方が病院死より多い時代でした。私の曾祖母のようなケースは良くあることだったのでしょう。

しかし、その後、病院死が在宅死を上回るようになり、昭和から平成になる頃には、日本人のほとんどが、病院で最期を迎えることを、当たり前のことと受け止めていました。高齢者の医療費が一時期無料になったことや、核家族化が進んだことが、病院死の増加を後押ししました。
一方で、病院死の増加に伴う矛盾が問題になり始めます。現役医師である山崎章郎先生の「病院で死ぬということ」というノンフィクションが話題になったのは、平成2年(1990年)年のことです。その年に医師となった私は、それから多くの患者さんの死を経験しますが、「病院で死ぬということ」の描写は、当時の病院では当たり前に行われていた、患者中心には程遠い、延命至上主義の医療の現実でした。
しかし、多くの日本人が医療を過信し、入院していれば安心だと決めつけていたのも事実です。私を含め医療者ですら、病院死しか経験していないために、他の選択肢が無いものと疑いませんでした。

2000年代になると少しずつ変化が訪れます。日本社会は超高齢化し、認知症の増加、胃瘻などの人工栄養、人工呼吸器などの生命維持治療など、どんな医療やケアを受けて、どうやって最期を迎えるのがふさわしいのかを考えざるを得ない状況になったのです。
特別養護老人ホームの医師である石飛幸三先生の「平穏死のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」がベストセラーになったのは2013年です。老化は生き物として自然のことです。医療の力で治すことはできません。寿命を受け入れ、胃瘻などの積極的な人工栄養や延命治療を行わずに最期を迎えることは決して苦しくありません。多くの医療者がそのことに気づくようになり、日本人に受け入れられ始めたのでしょう。

2021年となった今、人生の最期を迎える場所、受ける医療やケアは自分の意志で決めることができる時代です。鹿追町では町立病院、しゃくなげ荘、老健施設、訪問看護ステーションなどが連携して、人生の最終段階のケアを行っており、病院で最期を迎える方が6割強、しゃくなげ荘が3割、その他は在宅などです。
在宅、施設、病院、最期を迎える場所がどこであっても、準備さえ整えておけば、本人にとって最善の医療やケアを受け、「平穏死」を迎えることが出来ます。
大切な準備は、自分で意思決定できるうちに、家族やかかりつけの医療スタッフ、施設のスタッフなどと、自分が最期の時まで、どのように生きたいか、どんな医療やケアを受けたいのかを話し合っておくことです。