特集 あなたと私の人生会議を考える 第3回

 

【特別養護老人ホームで看取りをする時代になって 山本 進】 より抜粋

施設での看取りがあってもいいのではないかと提案しても、現場はそう簡単に軌道修正できません。夜勤をする介護士たちからは、医療的知識もなく医療行為もできないうえに、夜間は看護師がいないのだからとうてい無理だというのが大方の意見でした。一方、看護師側にも事情がありました。血圧が高いとか、発熱や嘔吐があると、夜勤者から電話連絡がいきますから、深夜に駆け付けることも覚悟しなければならないのです。結局は、介護職も看護職も相談員も体調の悪い利用者は早めに病院に入院させたほうが安心だったのです。しかも、当時の嘱託医も施設でも看取りには否定的でした。最後の診断から24時間以上経過していたら、死亡診断はせずに警察に検視を要請するのが常態だったからです。

平成5年2月のある日、利用者キヨさんが深夜に突然死しました。発見した夜勤者が病院に電話連絡したところ、当直だった嘱託医がとにかく患者を病院まで搬送しろと言うので、私はすぐにキヨさんを病院へ搬送しました。呼吸は完全に停止し体は弛緩していましたが、医師はすぐに心臓マッサージを施行し、しばらく続けた後に、「今死亡を確認した。だから警察への通報はしない。これからも同じことが起きたらすぐ病院に連れてくるように。死亡しているかどうかの判断はお前たちが勝手にしてはダメだぞ」と言うのでした。つまり、警察の関与を回避できるように配慮をしてやるというわけです。施設での死は事故というより事件のように扱われていたのです。



施設での看取りへの現場職員の理解も得られないまま嘱託医も代わり、転機が訪れたのが平成8年11月でした。利用者シゲマツさんは徐々に食事も摂れなくなってきていました。看護職・介護職は入院を勧めますが、本人は病院には行きたくないと拒否します。家族を呼んで協議しても本人の意思は変わらず、ついに娘さんから本人がいやだというのだから入院はさせたくない。そのかわり自分が施設に泊まり込んで付き添いをするので、このまま施設においてほしいと言いました。私は娘さんの意見に大賛成し、みんなで協力してシゲマツさんの願いに応えようということで協議を終えました。ところが、いよいよシゲマツさんの容体が変わってきた日に、ある介護士からなぜシゲマツさんを入院させないのかと抗議されました。私が本人の意思と家族の気持ちを尊重するべきだと説明しても、最初は入院させないのは本人がかわいそうだという思いからだったのが、だんだんと感情的になりついに「指導員は夜勤する職員のことを考えていない。大変な思いをするのは私たち介護職だ」との主張に変わりました。この時すでに娘さんが施設に向かっていましたから、私も一歩も引かず、朝まで娘さんが付き添うし、私もいつでも駆けつけるからと伝えそのまま夜を迎えました。

数日後、シゲマツさんの様子がおかしいと、朝早く娘さんから電話があったので施設に駆け付けました。ほどなく医師も来たのですが、シゲマツさんの呼吸は止まっていました。その医師は腕時計を確認して「今死亡を確認したからね。いいね」と念を押したのです。つまり、最後に診察から24時間以上経過しているので死後診察にはできない、医師が最後に立ち会ったことにするという意味だったのでしょう。継続的に診察している患者の場合、死因に異常が認められなければ、最後の診察から24時間以上経過していても死亡診断書の作成ができるというルールが誤解されていた時代のことです。それで警察に通報することもなく死亡診断書を書いてもらいました。

 

鹿追国保病院院長 林修也先生に、「死亡診断と検視について」お話を聞かせていただきました。

私は平成31年4月、鹿追町立国民健康保険病院に赴任し、しゃくなげ荘の嘱託医を拝命しました。その後、約1年半の間に、25名の方々の施設での看取りに関わらせて頂きました。

しゃくなげ荘に入所中の方は超高齢の方ばかりです。そのほとんどが高血圧症、糖尿病、脂質異常症、脳卒中、認知症、狭心症、腎不全、慢性閉塞性肺疾患、骨粗鬆症、癌などの多くの疾患を抱えていますから、当然、余命は限られています。

そこで私は、最期、すなわち看取りの時まで、どのように生活し、どのような介護や医療を希望するのか、出来るだけ入所の時から、しゃくなげ荘のスタッフと共に、御本人や家族と話し合うよう心がけています。

最期の時までしゃくなげ荘で過ごしたいという希望には、出来るだけ応えるようにしています。昭和50年代頃から、人間は病院で亡くなることが当たり前のように、私たち医療者ですら錯覚していましたが、現在は、その方がどんな疾患を抱えているかに関わらず、しゃくなげ荘や在宅での看取りが可能です。病院でしか亡くなることが出来ないのは、入院して治療を行わないと、苦痛が緩和出来ない場合のみです。老衰で天寿を全うする場合は、痛みなどの苦痛が少ない場合が多く、仮に癌などによる痛みがあっても病院と同じ治療を継続することも可能だからです。

施設での看取りは病院での看取りには無い利点があります。治療が目的の病院は、夜も心電図モニターの音や、治療のために走り回るスタッフの足音で時に騒がしくなります。一方、しゃくなげ荘の広々とした個室では、お別れの時間を、たくさんの家族と共に、ゆったりと静かに過ごすことが出来ます。何より入所してから、ずっと関わった顔見知りのスタッフに介護される安心感はかけがえのないものです。いつもと変わらない行き届いたケアにより、鎮痛薬を減量できることもあるのです。

以前は私たち医療者が、医師法第20条(無診察治療等の禁止)や医師法第21条(異状死体の届出義務)の解釈について、十分に理解していなかったために、多くの混乱がありました。

施設で亡くなったことが明らかなのに、救急車で病院に搬送して、病院で死亡確認することは珍しくありませんでした。また、死亡診断書が円滑に交付されないばかりか、医師が警察に届出て、警察による検視が行われることで、家族やスタッフとのお別れの時間が、かき乱されることもありました。

しかし現在、しゃくなげ荘に入所中の方は、私が継続的に診療していますので、最後の診察から24時間以上経過していても、私や当直医がしゃくなげ荘に出向いて、死後に診察して死亡診断書を交付します。また、医師の警察への届出義務は”異状死体”すなわち変死体や犯罪が疑われる時に発生するのですから、施設で天寿を全うして亡くなられた際に、”ふつう”は警察へ届出て検視が行われることはありません。

仮に警察が介入すると、事件性を疑って捜査が行われます。大切な家族が亡くなった後の大切な時間に、家族に「保険金はかけていましたか?」、介護のスタッフには「亡くなった時、どこで何をしていたの?」などと事情聴取されるのです。何か悪いことをしてしまったような、嫌な気持ちになるでしょう。検視の際には、私たち医師は、遺体から髄液、心臓血などの提出を求められることがあります。亡くなった方の胸や首筋に針をブスッと刺して、血液や髄液を採取するのです。どう考えても事件性がないと、常識的に考えられる時には、亡くなった方の尊厳を踏みにじるようで、申し訳ない気持ちになります。

ですから、必要もないのに、警察へ届出て検視を行うことはあってはならないと思います。私たち医師が警察に届出るべきは、あくまで犯罪が疑われるときです。超高齢多死社会となった現在、施設で”ふつう”の看取りのお手伝いをすることが、私たち医師の責任と考えています。