特集 あなたと私の人生会議を考える 第9回

 

【特別養護老人ホームで看取りをする時代になって 山本 進】 より抜粋

幸せをくれたヒデコさん(2)

平成23年8月19日。「体の調子まあまあ、はりきってもいないけどしぼんでもいない。生きてさえいればいい。アメがポケットにはいっているとうれしい。なんでこんなに幸せなんだろう。今日は幸せだ。今日も明日も書いてね。私の言葉を書いてくれる人がいるとうれしい。今日の一日が始まった。おやすみなさいまでよろしくね。何が起こっても怖くない。幸せです。」この当時の記録には「私は幸せです。そしてみんなの幸せを願っているんだよ」という言葉が残されています。

平成23年8月29日。「私ちゃんとわかっているからね。あんたたちの言うこと聞いていれば、安心なんだ。具合が悪くてもつらくはない、大丈夫だからね。」この時期のヒデコさんの顎は外部に貫通していて、水をあげてもほとんど顎から漏れ出てしまうような状況でしたが、ヒデコさんの明るさに職員が励まされながらの食事介助が続いていました。

平成23年9月5日。デュロテップ(痛み止め)開始。
平成23年9月6日。「昨日は頭痛くてつらかったけど、今日は全然平気、痛みがなくて幸せなんだ。でもさ、もっと幸せになったらうれしいからみんなで頑張ろうね。」
平成23年9月17日。「みなさんがいてくれるから頑張ってこれました。もう少し頑張るからよろしくお願いします。」
平成23年9月22日。「もう終わりですどうもありがとう。」この言葉を最後にこんこんと眠り続け、いよいよ最期の日がやってきます。
平成23年9月25日。91歳の人生の幕を閉じました。

この年の新人介護士が語ったことばです。「まだ新米の私は、満足な介護もできなくて迷惑をかけていたにもかかわらず、ヒデコさんと娘さんたちから温かい言葉をかけていただき本当にうれしく思いました。ヒデコさんの事が大好きだったので、顎の傷がひどくなっても目を背けずに介護を続けることができ、ちょっぴり自信にもなりました。ヒデコさん本当にありがとうございました。」
ヒデコさんと過ごす日々は若い介護士を確実に成長させてくれました。そして、病気を発見したら速やかに医療にバトンタッチするのでなく、治せない状態であれば介護が主体となり、医療と連携しながらその人を最期まで支援する看取り介護の時代を迎えたことを実感しました。


今回は林先生に「症状緩和の医療治療とケア」についてお話ししていただきます

緩和ケアの定義(WHO 2002年)日本緩和医療学会定訳

緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである。

緩和ケアはがん治療の分野で発展してきたので、「がん末期の治療」をイメージされる方が多いかもしれません。しかし、WHOで定義されているとおり、病気の種類に関わらず行われます。がんによる痛み、心不全や呼吸不全に伴う息苦しさ、肝不全や腎不全に伴う体の怠さ、あらゆる病気による不安や恐怖、死に至る過程で生じる苦痛は様々ですが、それら全てを和らげることを目指すケアです。以前、緩和ケアは終末期に提供するものと考えられていましたが、できるだけ早く開始した方が、余命の延長につながるとする報告もあり、最近は早い段階から提供されるようになっています。
緩和ケアは、決して大病院の緩和ケア病棟だけのものではなく、療養場所を問いません。地域の病院、施設、自宅などのどこであっても受けられるものです。

がんの痛みを和らげるために麻薬を処方することがあります。症状が進行して、麻薬の飲み薬が飲めなくなった時、昔は注射と坐薬しか選択枝が無かったのですが、現在は貼り薬があるので、施設や自宅でも使用し易くなりました。しゃくなげ荘のヒデコさんも、貼る麻薬で顎の痛みが改善し、最後まで施設で生活できました。貼り薬で十分に効果が無い場合、呼吸困難が出現した場合でも、訪問看護や在宅訪問診療を使って、充電式携帯ポンプによるモルヒネなどの皮下注射を施設や在宅で利用することが可能です。薬剤や医療機器の進歩により、病院でしか受けることが出来ないケアは少なくなりました。

医学的なケアだけが、緩和ケアではありません。ヒデオさんが施設スタッフに囲まれてお酒を飲んだことも緩和ケアです。しゃくなげ荘のように住み慣れた場所で、顔なじみのスタッフと共に過ごすことは、不安を安心に変えたことでしょう。お父さんが最期に自分の思いを遂げて亡くなったことで、家族の方々も、悔いなくお別れ出来たことと思います。
ヒデコさんが話した言葉を介護職員がノートに綴り、人生を振り返ったことも緩和ケアです。思い出を語り伝え、自分の物語を肯定することで、恐怖心が遠のき、顎に腫瘍を抱えながらも、幸福で穏やかな生涯の締めくくりが出来たのです。

ヒデオさんやヒデコさんのケースのように、地域の病院と協力すれば、施設だからこそ提供可能な緩和ケアがあるのです。人生の最終段階になった時にも、訪問看護や在宅訪問診療を利用しながら、自宅で家族と一緒に過ごすことができれば、それは他の何よりも貴重な緩和ケアになることでしょう。

今回は緩和ケアの定義にある「スピリチュアルな問題」
についても先生の考えを聞かせていただきましょう

霊的などと訳されることが多いのですが、ピッタリな日本語が無いためにわかりにくい概念です。
私の解釈は、心の奥底からくる、容易に取り除くことが出来ないモヤモヤした感情です。
例えば、病気と闘いながら生きながらえるつらさ、自分らしさを失っていく悔しさ、死に対する恐怖、生きることを諦められない思い、人生の後悔などが挙げられます。